2018年5月10日木曜日

父と子と。人の縁とシガラミと。

新天地が好きな厩舎の一つに大竹厩舎があります。

比較的歴史の浅い厩舎ですがルージュバックでオークス2着など。今年もダービーに出走させるなどおそらくもっともっと発展する厩舎の一つでしょう。
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競馬ファンにはよく知られたお話ですが、大竹調教師はダービー2勝ジョッキーの息子さんです。

え?大竹騎手なんて知らないって。
実は大竹騎手の実父は古くからのファンならお馴染み、大崎昭一騎手なのです。そう、ダービー二勝、泣きの大崎。(大崎騎手はどんなときでも弱気のコメントなのでこの異名がついた)

華々しい経歴の大崎騎手ですが、ある事件が影を落とすことになります。
それがいわゆる「大崎事件」。新潟競馬場でのレースの返し馬の途中馬場のお客さんから声をかけられた大崎騎手は馬上から返事をしてしまいます。「調子はどうだ」「ぼちぼち」みたいなやり取りだったとか。

しかしこれが「公正なレース」の妨げになったと中央競馬会は判断。八百長の疑いもあるとして無期限の騎乗停止処分に。4ヶ月後に処分は解除されたものの、関東の調教師は彼に騎乗依頼をするのは辞めてしまいます。競馬マスコミも「八百長」と掻き立てたため騎乗が難しくなってしまったのです

その後、関西の調教師はかれの能力を買って騎乗依頼を出すようになります。
さらにレッツゴーターキンで天皇賞の大穴を開けるなど復活を遂げました(この時、G1勝利ほどの能力はないと出走を考えていなかった橋口調教師に「天皇賞に行こう」と強く進言し、出走させたのが他ならぬ大崎騎手でした。当時レッツゴーターキンは坂のない小回りなローカル開催でしか結果が出ておらず、東京競馬場は未経験。さらに天皇賞勝ち負けほどの馬では無いと思われて居たんですね。レッツゴーターキンを軽視した競馬記者に向かって「レッツゴーを馬鹿にするな」と本気で起こったというエピソードが残っています。結果は三宅アナに「なんとびっくりレッツゴーターキン!大崎騎手やった!」と絶叫させることに。。。後に数多の名馬を送り出す「半信半疑」の橋口調教師には最初のG1。しかし大崎騎手にとっては最後のG1となりました。

ちなみにこのレース、新天地はダイタクヘリオスートウカイテイオーの馬番連勝を買い込んでましたが、メジロパーマーとダイタクヘリオスの「安田記念よりも早い競り合い」のせいでオケラになりましたw。

大崎騎手はその後、落馬の影響で騎手を引退。生涯勝利は970勝。当時は1000勝すると調教師試験の一次試験が免除されたため、あと30勝していれば調教師にほぼなれたわけです。もしも騎乗停止がなければ、騎乗依頼の減少がなければ、落馬がなければ・・・。

タラレバですけどね。

(おまけ。現在では1000勝騎手が調教師の一次試験を免除される特典はなくなりました。一節には、この特典で調教師になった田原成貴調教師がいろいろ問題を起こしたことが契機になったとも言われています。
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そんな父を見てきた大竹調教師は獣医学部に通い、獣医学部を志したという。競馬の世界なんて、というわけです。

しかし、上述のレッツゴーターキンでの天皇賞勝利で考えを変えたとか。
大学を卒業後牧場での勤務を経てJRAの厩務員過程に合格。そのままJRAでの厩務員生活をはじめ調教師を目指したのです。

「自分が調教師になる」ことが「父の仇を取る」(ウィキペディアより)と考え調教師に合格した大竹調教師。ただ、調教師になる時に「大崎の名前だと、しがらみもあるだろう」とのことで母方の名字を名乗ることにしたんだとか。この時父子で話し合ってお互い疎遠にするようにしたんだそうです。大崎元騎手は競馬予想のお仕事もしていたし再びあらぬ疑いをかけられたくなかったのでしょう。

競馬は血が走る、とも言います。人間にも「選ばれた血」が流れてます。


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当時、大崎騎手は関東の所属でした。しかし関東の調教師はあからさまに大崎騎手を「干しました」。一方、関西の調教師たちは「いくらなんでも処分は重すぎるし、彼の能力も惜しい」という風潮が。特にシガラミのない実力派若手調教師たちが大崎にオファーを出したのです。

1980年代後半、すでにタマモクロスから始まった「関西馬旋風」が巻き起こっていたまさにその時でした。こういう「古さ」と「シガラミ」の違いが未だに続く「西高東低」の差かも知れませんね。

レッツゴーターキンを半信半疑?で送り出した橋口調教師もそんな若手の一人でした。その後の大活躍(ダンスインザダーク、ハーツクライなど)はご存知のとおりです。

レッツゴーターキンは橋口調教師が初めて大手馬主の社台から預かった馬だったそうです。祖母にシャダイターキンという社台ファームの基幹牝系を持つ馬でしたが気性が荒く、一口クラブの応募でもなかなか埋まらなかった「問題児」。天皇賞でも大崎を振り落とす一幕が。。。
しかし、そんな馬で天皇賞を制したことで、社台グループから「気性の荒い」サンデーサイレンス産駒を多く預かることになります。馬主の信頼を勝ち得たのです。

橋口調教師にしてみれば、「苦境の名騎手」に騎乗機会をお願いした。
そしたら、その騎手は期待に答えて調教師に恩を返した。
また、そのことで調教師はさらなる飛躍の機会を得た。

またこの出来事は旧来のシガラミにとらわれた美浦、新たなものを求めた栗東という明暗をまさに表した出来事でもあった気がします。
いまだ美浦は栗東に追いつけていない。もう30年もです。

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