2018年2月3日土曜日

あまのはしだてな話。

最近、ちょこっと旅かえるというゲームに嵌っています(*^^*)

カエルに旅支度をしてあげると、カエルが写真を撮ってきてくれたり、名物をもってくるというたわいないゲームではあるんですがw

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今日はカエルさんが天橋立(あまのはしだて)と思われる写真を撮って帰ってきました。
まだ行ったことないんだけど、こんな有名な所。日本三大なんとかだっけ?


一度は見たことあるでしょうか。いまの京都府にある、平安とかもっと昔から有名な景勝地だったそうな。

この場所、当時の京都の都からはそこそこ遠い(昔は自動車とかないからね)場所であるけど、京の人ならみんな知ってるゆうめいな場所、そんな所だったわけです。

100人一首にも詠まれてまして、僕がたった二つだけ覚えていて札をとれる歌。(もう一個は落語のねたになってる「からくれないにみずくくるとは」w)

大江山生野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立

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この歌の作者は小式部内侍という女性で、中宮彰子に仕えた人。若くして亡くなったそうです。この人、何と言っても和泉式部日記で有名な和泉式部の娘さん。
そのことを知るとこの歌の持つメッセージが理解できます。

100人一首に選ばれる程の素晴らしい歌なのですが、驚くことにこの歌、嫌味というか質悪い言いがかりに対して即興で和歌で返したという逸話が残ります。
そしてこの歌のお陰で言いがかりをつけた人たちにそれが全くの間違いであることを見せつけたのです。

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小式部内侍は幼い頃からさすが和泉式部の娘、というほど才気あふれる女性だったそうです。その才気も買われて中宮彰子に仕えました。しかしあまりの歌の見事さに「どーせ、お母さんが代理で作ってるんじゃねーの」という噂があったそうな。代理で作ってもらった歌で中宮彰子に取り入ったり出世してるんじゃねーの?

まあやっかみとかですね。

ある時、母親の和泉式部が夫とともに丹後の国に行ってしまいました。
その時に小式部内侍はある歌会に呼ばれます。

それを聞きつけたのが歌人として有名な藤原定頼。

「お母さんいないけど、今度の歌会の短歌は作ってもらったの?、手紙来た?」といやみったらしく聞いたのです。

この時内侍が即興で返したのが「大江山~」という歌というわけ。

大江山、生野は遠いので行ったこともない。(生野と行くをかけてる)
天の橋立の地でさえ踏んでいない。(文も見ず、と踏みもしていない、とかけてる)

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藤原定頼という大家にかなり強烈な嫌味を噛まされながら、それを自分の才能で倍返しくらいに返したこの歌のエピソードものすごく好きなんですよね
内侍は25歳ほどの若さでなくなったそうですが、その歌のエピソードはこうして1000年も2000年も伝えられていく。

文章にはそういう強さがあるよね、という意味でものすごく好きな歌なのでした。

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