2018年1月6日土曜日

ポルク騎手死去と角居調教師引退におもう。

去年のジャパンカップに出走したイキートス(ドイツ)に騎乗したポルク騎手が亡くなったという。まだ34歳。ガンだったそうな

もう、ジャパンカップの11月末の時点では自分の余命が長くないことは知っていたんではないかと思う。ジャパンカップでの騎乗が最後のG1レースになってしまった。あれから30日あまりで旅立ってしまったのだ。

もう長く生きれないことはわかっていたはず。体も相当辛かっただろう。
それでも自らにG1レース(数年前にドイツに移籍して初めてドイツのG1をイキートスで勝った)の勝利をプレゼントしてくれた馬の長駆遠征に、病を押してドイツからはるばる日本まで付き合いジャパンカップを戦った。
そのジョッキーとしての矜持に感動を覚えずにはいられない。

死ぬ最後の瞬間までトップジョッキーであり続けたんだと思う。
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古い競馬ファンなら、中島騎手を思い出すだろうか。

1985年の5月、体調不良を感じながらもそれを競馬マスコミなどには隠し通して騎乗を続けた中島騎手はトウショウサミットでダービートライアルを制した。さらにはオークスをナカミアンゼリカで気迫の2着。

が、このトウショウサミットのダービートライアルの時点で中島騎手は、同部屋だった小島太騎手(現調教師)に朝に三度起こされても起き上がれないほど体調は悪化していたという。直後にガンであることが判明。

そして日本ダービーの週には医者から末期の肝臓がんでもう長くはないことを告げられる。中島騎手はそれでも周囲に病気を隠し通し、医者にダービーの騎乗を懇願した。
医者は即入院することを勧めたが、中島騎手はそれを振り切り最後までジョッキーであることを貫き通した。トウショウサミットは敗れたもののダービーで中島騎手は死が迫っていることを微塵も
感じさせない鬼気迫る逃げをみせた。


中島騎手はすぐに入院、ダービー後わずか二週間で帰らぬ人となった。実は末期がんであったことが競馬ファンに知らされたのは中島騎手死去のニュースによるものだった。
友達の影響で競馬を見ていた、マセガキだった子供ながらに鮮烈な記憶として残っている。
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一方で、日本だけでなく世界でも名を知られる角居調教師が調教師を引退することを決めたという。(牝馬でダービーを制したウォッカ、ドバイワールドカップを制したヴィクトワールピサさど錚々たるG1馬たちの調教師)
21年2月をもって厩舎を閉めると。
(角居調教師くらいの調教師になると、競り市で何億円とか何千万円とかの値がついたトップレベルの仔馬たちが先を争って入厩を希望する。21年以降に走るだろう馬の馬主にそれ以降、転厩しなければいけないことを前もって知らせる意味で今の発表になったようだ)

なんでも、祖母の代から続く天理教関係の仕事をつぐために、調教師をやめるんだとか。

まだ53歳。
凱旋門賞やBCカップ、その他もろもろの大レースを狙えるだけのスタッフ、馬主のバックアップがある。それだけのバックグラウンド、JRAのトップの調教師として最高の名誉や世界のホースマンからの尊敬、億だろう年収を得ながらの転身にこれもまた人生を感じられずにはいられない。
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死ぬ最後の時まで騎乗にこだわった二人の騎手。
まだ余力というには大きすぎる力を残して勝負の世界を去ることにした一人の名伯楽。

羨ましくもあり、また胸が痛む思いもあり。

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