2017年9月20日水曜日

我田引鉄。大阪、三重、奈良連合VS京都。リニア争奪戦。

新天地は三重県は亀山市というところで育ちました。

もともと亀山市は最近では「シャープ」で有名でしたね。人口は3万人程度の小さな市です。(余談ですが、最近また亀山工場では期間工を含めた4000人が働いています。大型液晶テレビを此処に集約したからです)

昔から東海道53次の宿場町で、三重県の中では交通の要所でした。国鉄時代には車掌区や機関区が置かれ「国鉄の町」でもあったのです。JRも名古屋から亀山までがJR東海、亀山以西はJR西日本。ここを境に分かれます。余談ですが「国鉄職員」は、ある行動ですぐわかります。何事にも時間厳守なのですw。村の周回とかお寺の行事。時間ぴったりにやってくるのが国鉄の人でしたw

そんな国鉄の町。名古屋と大阪をまっすぐ結んだ中間点にある街。新幹線が計画された時、鈴鹿山脈ルートというのが一つの案として考案され、その場合、国鉄の街である亀山にも駅ができるはずでした。



しかしながら「鈴鹿山脈」ルートを通るためには十数キロから20キロを超えるトンネルを掘らねばならぬ、高低差も出てくる。資金面や時間の制約があるというのです。世界銀行からお金を借りてその条件が東京オリンピックまでに開通させるというものでした。

その為、長大なトンネルを掘るよりも平地を通るルートのほうが良いと。


この辺は昭和34年から35年にかけて当時の国鉄総裁が国会などでも答弁していますそう、昭和34年の頃の情勢やまた多分政治力で三重県は滋賀とか京都とかに敗れ去ったのです。
お陰で新幹線は本当ならもっと早く大阪につけるのに時間がかかりあまつさえ冬には雪に泣かされる、全て三重県の政治力のなさが原因でした。

ってのは僻みで、もともと戦前戦中からあった弾丸列車計画が元なので、鈴鹿山脈ルートは分が悪かったんですけどね。そもそも、現在の「安上がりなルート」でさえ建設費がかかりすぎて国鉄の十河総裁が首になったくらいですし、鈴鹿山脈を通していれば更にお金がかかったかもしれません。
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時は流れ、国鉄は「磁気浮上型列車」の研究を進め走行に成功。速度の世界記録も達成しました。1973年ころから「リニア新幹線」が現実味を帯び始めます。すでにこの頃から亀山市は「リニアを作るなら亀山に駅を」と言い始めます。長い長い戦い?の始まりでした。

三重県にとっては、三重を通して奈良に向かい大阪につながる。これが「ベスト」の経路。
ところが、「京都の野郎w」がいつものようにしゃしゃり出ます。京都を通したほうが経済効果が大きいと。



やかましいわw最後に出てきて美味しいところだけとってこうとか言うんじゃない。亀山は50年も前から誘致しとるんじゃ。
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昨日、大阪や奈良、三重の偉い人が集まり、国交省やJRの人よんで集会を開きました。
そう、京都は来んな!三府県のスクラムは固く、JR東海も今のところは三重奈良ルートに傾いているようです。

一方京都はいつものいやらしさで「京都に通らないリニアなんて」「観光云々」とかいい出すんでしょうw(多少偏見が混じってます。京都の関係者ごめんなさい)
京都財界の経済力も馬鹿にはできないしね。

三重と奈良の正義は時間とかスピード。これで新幹線の敵をうてるのか?ルートは名古屋まで開通する頃には決まってるはずです。その時まで僕生きてるかなあ\(^o^)/



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