2017年8月5日土曜日

ボート競技というのがあってですね。

新天地は高校時代ボート部に所属してました。

三重県には100近く高校あった(いまは減ってるはず)のですが、その中でボート部があったのは三校だけ。ぼくは高校入ったら絶対ボート部入るんだ、と思ってたのです。

新天地は、高校時代にボートのシングルスカル、という競技(一人乗りで日本のオールを使って漕ぐ)


参考写真。こんなやつ。

で三重県大会4位、という輝かしい成績を収めています。二位迄に入れば高校総体に出場できたのです。惜しい!


ただし何人出場したかは内緒ですがwドベとかいうなw

余談。舵手のいないこの船、競走中にどうやって曲がるか?
これを知ってる人は少ないでしょう。
ボートは靴を船に固定するのですが、舵手(コックスと言います)が居ない船では一番最後の漕手の右足の靴がかかとだけ固定されてて左右に動かせるようになっています、この部分がひもやタイロッドで舵とつながっていて、足を微妙に動かすことで舵を切ることが出来るのです。

ボート競技豆知識でした。
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学校にボート部が少ない理由。

まず場所がない。ダム湖や河口に近い緩やかな川、しかも漁船などが通らない最低でも500mくらいはあるような水面。(もちろん波が少なくないと)

さらにお金がかかる。船は数十万円から200万円くらい。もしもオリンピック選手が使うハイテクなふねになると値段なんてつけられない。(当時、東レが実業団チームで使っていたフルカーボンの船、フルカーボンのオールを見て「こいつらマジすぎる」と思ったもんです。
カーボンのオールだけで一本数十万円はしたでしょう。(木製のオールだって一本10万円くらいします)東レの「エイト」(八人乗り)の船とオール全部合わせて1000万円超えてたのでは??

艇庫とか、どう考えたって維持するお金が持たないよなあ。台風に合えば大きな被害も出てしまうし(*^^*)

海外の強豪国では、小学生くらいからボートに乗ってる子も居るわけで、現状では日本はまだまだ叶いっこないよなあ。以前よりはだいぶレベルも上がっているようですが。
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二年生の時は部員5人で一つの船に乗ってました。補欠ほぼゼロw。僕でもレギュラーという部内の競走が激しい部活です。

一緒にボートに乗ってたのは漕手4人、舵主1人
舵付きフォア、と言いまして高校レベルではこの競技が一番一般的かな。


 
四人が一本づつのオールを持ち、別に一人が舵を担当、この「コックス」の指示でピッチを合わせて漕いでいきます。この船は空気抵抗を押さえるためにコックスを最前方に配置する船ですね(首だけ出てるのがコックス。これは結構辛いものがある)
 
真ん中の二人が「エンジンペア」といって漕力のある二人が選ばれます。推進力優先。一方、一番左側、進行方向でいうと一番後ろの人間がストローク。整調と言うぐらいで一番「上手い」人間を起用。彼に合わせてみんなが漕ぐイメージ。そして一番下手くそなw僕はバウと言いまして進行方向から見ると一番前。みんなに合わせてはぐれないように漕ぐイメージかなあw
 
 
みんなで船を漕ぐのはかなり楽しかった。授業が終わると学校から自転車で20分以上かけて艇庫まで行き、毎日、2時間も3時間も船の上で練習する。
ただ雨が降ると乗れないし、誰か一人サボると船出せないw秋冬も水が冷たくて危険なので陸上練習。
でもでも試合さえなければかなり楽しい部活です。

夏休みも毎日船乗ってた。コックスが釣り竿持ち込んだ時は大笑いしたが。
OBのお陰で日本で最大級のボート大会、朝日レガッタ(琵琶湖で行われます)に出させてもらったのもいい思い出です。


(試合は高校生でも1000mを3回とか漕ぎます。次の日、学校サボるくらいきつい競技です)

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そんなに一緒の時間を過ごした青春の1ページ。でも高校を卒業してからは、同じメンバーにはそれぞれ一回づつくらいしか会ってない。浪人時代に偶然会ったり(ああ、おれパイロットになる学校通ってるんだ)とか東京に出張に行くから会おうな、といって偶然であったり。

あるいは社会人3年目くらいだったかなあ、土曜日の府中競馬場のパドックで馬を見てたらやたらド派手な赤いスーツ(赤のスーツって。シャアじゃないんだ)をきたSくんにまたまた偶然出会ったり。広い競馬場でバッタリなんて、かなりのレアな確率ですよね。Sくんは僕ら5人が乗るチームのキャプテンだった。

8年ぶりくらいに再会したS君曰く。
「おおー。本当に新天地?懐かしー!!今何やってるの?証券会社?数学で0点取ったお前が?(ほっとけ)
ああ、おれ電通入ったんだ。広告取る仕事。いま営業中だから」(彼についてもツッコミどころ満載なのはおいておく)

「電通に入ったら有名人とかあえるんじゃねーの」と僕が聞くと「そんなの一部の人だけ。営業にはあんまり関係ない」とのたもうたS君でした。その後一度も彼には会ってませんが。。。
真っ赤なスーツ、一レースに20万円ぐらい(平場のレースです)ぶっこむ金銭感覚に「さすが電通」と思いつつ、電通の株を買うのはやめようと思った新天地でした・・・。


時はそれから20年ほど流れ。
その赤いスーツのシャア、じゃなかったSくんは、いや年を重ねてS氏は相当有名な(雑誌の記事によればいずれ日本を代表するだろう)CMプランナーになったそうな。びっくり(*^^*)

CMでいろんな賞を総なめにした挙句に作詞家にまでw

同級生、350人位居るはずだけど、ウイキペディアに名前が乗ってるのは彼くらいだろう。

初めて手掛けたCMソングが「海の声」、それとと「みんながみんな英雄。」
どっちも去年の紅白にでたそうな。その三太郎のCMとかトライのCMとかも彼の作品なんだとさ。

三太郎の山の中の話の中には三重の山が、海の声にはきっとボートを漕ぎに言った岩田川の河口から見える海が反映されてるんだろうな(うそですw)


確かに、面白い人だったしよく音楽聞いてたからそういう素地はあったのかもね。
意外と言えば意外。納得といえば納得。あのトライのCMもSさんが作ったと聞かされて「マジ?うそ?」と驚く一方、言われてみれば「彼らしい」。

みんな頑張ってるんだ。広告営業頑張ってるんだ!っていってた20年経って彼が広告を作る側に回ったのにもいろんなストーリーがあったんだろう。おそらく僕の何十倍も仕事に打ち込んだんだろうね。

人生いろいろ。S君に限らず、また一度でいいからみんなに会ってみたいなあ。
それぞれが責任のある年齢になって色んな場所で活躍してるんだな。
僕もうだうだ言ってる場合ではないのだ。

と懐かしむ年になってまいりました。時は過ぎていく。

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