2016年11月30日水曜日

そもそもパククネって。

朴槿恵大統領が「条件付き」で辞任してもいいかなあ、と発表。

即時辞任ではないところが味噌で「早く辞めるかも」ということで主に与党側の造反議員を思いとどまらせたい、潘基文が選挙活動できるまで大統領選挙を引き伸ばしたい、そんな下衆の勘繰りをしたくなります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そもそも朴槿恵って何者か?

パククネは韓国の元大統領である朴 正煕(パク・チョンヒ)の娘として生まれました

朴正煕はもともと日本統治下の軍人で、韓国分断後に韓国軍に入りました。もともとは労働党に入っていたことがあり、韓国で死刑判決を受けそうになるもその優秀さから殺されなかったという前歴もあります。

朝鮮戦争が終わった、韓国国会は内輪もめを繰り返しあるいは学生運動が吹き荒れ復興は進まず。更には北朝鮮の影響を受ける集団も暗躍。

そこで業を煮やしたパク・チヨンヒはクーデターを敢行する。形式的に民生化した後も大統領に居座りあの手この手で専制政治を行った。政治的には弾圧を繰り返し非難される一方、日本と国交を回復した代償にお金を引き出して経済を復興。反北、半東側親米路線を取ることでアメリカからは軍事的経済的庇護を受け「漢江の奇跡」と言われる経済成長を成し遂げた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
しかし。。。

1974年の8月15日(8月15日は韓国は復興節、いわば独立記念日です)に行われた記念式典で、朝鮮総連の指令を受けた?在日朝鮮人の文世光がパク・チョンヒ暗殺を企てます
大阪の警察から盗んだ拳銃でパク・チョンヒ暗殺を行おうとするのですが、犯人は誤って拳銃を暴発させ自らが負傷。
それでも暗殺のためパク・チョンヒに向かって数発発泡したのですが、元軍人の朴正煕はすぐに発砲音に気が付き演壇の下に隠れて難を逃れます。

しかし、流れ弾が式典に参加していた夫人(パククネの実母)の頭部に当たり、夫人はなくなってしまうのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
パククネはこの時まだ20代。主席で大学を卒業した後グルノーブル大学に留学中でした。
母の死去を受けて帰国すると、母に変わって「ファーストレディー」の役割をはたすようになります。

そして1979年10月26日。韓国で10・26事件と言われる暗殺事件が起きます。
朴正煕の古くからの友人でもあり、KCIA長官の金載圭が大統領を射殺したのです。

取り調べでは「韓国の民主化のためにやった」と主張したと言われます。
しかし、裁判は「職務について叱責された恨みによる犯行」と判決されました。(結局死刑)

(おまけ この時、朴正煕大統領は米国にも知らせずに核開発を計画していたとも言われます。核開発を止めたかった米国CIAが裏で糸を引いていた、という陰謀論が韓国国内では今もあるそうです)

暗殺の混乱後を掌握した全斗煥大統領は政敵を一掃するとかれが次の「専制」を引き継ぐことになります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
父の暗殺後、朴槿恵は政治の一線から姿を消すのです。

再び政治の世界に戻ってきたのが1998年の国会議員の補欠選挙。20年の空白を経て政界に姿を見せます。

ここで父の名を活かして当選すると当時の保守第一党「ハンナラ党」でも重職を占めるようになります。一時離党するもハンナラ党に復帰。2004年には党代表にまで上り詰めます。

この直前、ハンナラ党は「盧武鉉大統領」に対する弾劾訴追を主導したのですが、弾劾は否決。
逆に盧武鉉大統領は新しい政党ウリ党を結成して総選挙を迎えます。

「ムリな」弾劾を政治的な動きで進めていたハンナラ党は大逆風を受けて惨敗が予想されていました。
しかし「女性党首」「(経済を立て直した)朴正煕大統領の悲劇の娘」という抜群の知名度でハンナラ党崩壊の危機を救います。なんとか「少しの負け」まで僅かな時間に立て直したのです
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この「姿を消していた時間」に占い師がとりいったものとみられます 。
誰も相手にしない時に、将来トップまで上り詰める姿が占い師には見えたんでしょうかね。

一度は大統領候補選挙に敗れるも臥薪嘗胆、今度の大統領選挙に当選して今渦中に。

波乱万丈のじんせいなのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
結婚していません
子供もいません

が実は日本国内に隠し子がいるという根も葉もない噂が流れたりもします。






0 件のコメント: