2016年10月14日金曜日

リンドシェーバー死す

アラフォー以上の競馬ファンには懐かしい、リンドシェーバー死す。28歳。

父親に当時の北米チャンピオン種牡馬アリダー(米国三冠全て2着)を持つリンドシェーバーはある意味「バブルが連れてきた馬」といえるかもしれない。外国産馬で当時のルールはクラシックレース(ダービーや皐月賞とか)などに出走権がなく、「将来の種馬としての価値」も見込んで輸入された馬だったと思う。

この馬が最も輝いたのが朝日杯三歳ステークス(G1)(当時は数え年で馬の年齢を数えた。いまの二歳。フューチャリティステークス。)

一番人気にこたえて抜け出すと、勝ちタイムは中山1600m良馬場で1分34秒0。これは「永らく破られないのではないか?」とまで言われた怪物マルゼンスキーのレースレコード1分34秒4を16年ぶりに破る快挙だった。この勝利がこのあと何年か続く「マルガイ」ブームの嚆矢となったのである。



レコード勝ちがどれくらい衝撃的だったか?まだ4歳(今の三歳にあたる)のこの馬の種牡馬シンジケートが総額9億円という破格の条件で組まれたのだ。(もちろん、北米で猛威を奮っていたアリダー産駒、後継種牡馬という血統的バックボーンもあっただろうが)



続くヒヤシンスステークス(当時は芝のオープン)を問題なく快勝するとリンドシェーバーは弥生賞にコマを進めた。

当時のルールで牡馬のクラシックレース(皐月賞、ダービー、菊花賞)には出場できないものの、皐月賞のトライアルレースでもある弥生賞は当時から外国産馬の出走が可能だった。

リンドシェーバー陣営としては、皐月賞と同じ競馬場、同じ距離(2000m)で行われる弥生賞を勝てば「幻の皐月賞馬」として種牡馬としての価値を更にあげられる。

そしてこのころから台頭してきた「関西馬旋風」に対抗する関東の最後の砦として関東の重賞を安々と関西馬にわたしてなるものか、というファンの気持ちもあっただろう。
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しかし、この時立ちはだかったのが西の三歳チャンピオンイブキマイカグラ。

最後方から直線だけで競馬する、という典型的追い込み馬のイブキマイカグラの末脚が炸裂。
リンドシェーバーを差し切ってしまったのだ。「関西馬強し」を印象つけたレースでもあった。



結局リンドシェーバーはこの弥生賞のあと調教中に骨折。すでにシンジケートが組まれていたこともあり無理をせずこのまま引退となった。(なおこの年のクラシックレースは皐月賞まで重賞レースを使わない「裏ローテーション」を無敗で進んだトーカイテイオーがイブキマイカグラも問題にせず皐月賞とダービーを圧勝。さらに関東ファンの落胆を誘うことになった)
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9億円の巨額シンジケートの種牡馬としては物足りない種牡馬成績ではあったが、レインボークイーンやサイコーキララを輩出。またいかにもアメリカ血統らしくダートでそこそこ走る馬を多く出したイメージもある。日本にそれなりに影響を与えた馬であったといえますね。                                                       

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