2016年2月8日月曜日

中華街行ってきた

日本橋の高島屋(昔奥さんの親戚が勤めてた関係で、百貨店といえば日本橋高島屋)でバレンタイン買い出しを行ったあと、奥さんのリクエストで横浜中華街に「刀削麺」食べに行ってきた。

さて、駐車場からお店に行く途中に「関帝廟」あった。

関帝廟っていうのは三国志に出てくる有名武将、関羽を祀ったもの。中国には各地にあるそうな。

三国志演義の有名な武将である関羽は、義兄弟と誓った主君劉備に対する強い義侠心で知られ、また塩の商売で財をなすなど「商売の才能」もあったという。
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「三国志演義」の中では、主君劉備が対立する曹操に戦争で破れ国を失い関羽と生き別れになってしまう。そして、劉備の奥さんをつれて逃げていた関羽は曹操に捕らえられてしまう。

打首でも文句の言えない関羽一行だったが、名将関羽をどうしても部下にしたいと思った曹操は関羽と、劉備の奥方を手厚くもてなし、関羽に曹操の配下につくことを求めた。

関羽は条件を出す。もしも主君劉備が見つかった時は、再び劉備のもとに行く。それで良ければ配下になっても良い。

無茶な条件だが、曹操はその条件をのんだ。

「恩義に深い関羽は、曹操に恩を返し、劉備の行方を知ったら自分から去るだろう」と思った曹操は関羽を「飼い殺し」にする。

その後曹操と強敵袁紹が全面戦争になった際、関羽は恩返しのためにも先陣を切って戦うことを望むが「恩を返されること」を恐れた曹操は関羽を首都にとどまらせることになる。

が、戦力で曹操を上回る袁紹軍は兄弟の看板の武将、顔良と文醜という武将を立てて曹操軍を圧倒し曹操は窮地にたってしまう。

部下に「今こそ関羽を出す時です。文醜や顔良に敗れるようなら、所詮関羽はそれだけの武将だったということ。また、彼らを倒して関羽が恩を返したというなら、またそれ以上の恩を与えればいいこと」

急遽曹操は関羽を呼び寄せ、関羽は戦場に立つ。文醜と顔良に相対した関羽はそれぞれ一刀のもとに彼ら二人を切り捨て、曹操は窮地を脱したのであった。

恩を返した関羽は、その後劉備が生きていることを知る。

義理堅い関羽は直接曹操にあって去ることを告げようとするが、ここで会ってしまっては関羽が去ってしまう、と思った曹操は関羽に会おうとしない。

曹操に会うことを諦めた関羽は手紙を残し曹操の元を去る。
手紙を読んだ曹操は自分の心の狭さを恥じ、慌てて関羽の後を追い、自筆で関所の通過許可を書いて渡す。改めて関羽は曹操に礼を述べて、劉備の元に去っていくのであった。
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その後20.年が経つ。中国統一を目指す曹操と孫権の呉の間に赤壁の戦いが起こり、呉に知恵入れした孔明、呉の大将周瑜の策略に大敗した曹操は呉から魏に逃げ帰る。
逃走する曹操の逃げ道を予測した諸葛亮孔明は平地と山道の二本の道のうち、平地の易しい道ではなく険しい山道のに関羽を伏兵させさらに故意に炊飯の煙を上げるように指示する。

煙を見た曹操の部下は「あそこに煙が見える。伏兵がいるに違いない」と進言するが、曹操は「孔明の罠だ。わざと煙を立てて山道を避けさせたのだ。平地は伏兵がしにくいが、その裏をかいて平地に誘い出そうと言うのだろう。策士孔明の考えそうなことだ」

曹操は孔明の裏をかいたつもりで山道を進むが、裏の裏をかいた孔明の策にはまり関羽の伏兵に囲まれてしまう。絶体絶命の曹操だったが、曹操の部下は関羽に主君の命乞いをする。
かつて関羽が捕らえられ、劉備の奥方共々打ち首でもおかしくないところを曹操は助け、しかも劉備のもとに去ることを認めたでは無いか。今回、なんとか見逃してくれないか。。

関羽は此処で曹操を見逃せば自分自身が軍法会議で死罪になるかもしれないことがわかっていながら踵を返し、曹操を見逃してしまうのであった。
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その後の恩賞会議で諸葛亮孔明は関羽を問い詰める。

何故見逃した?指示通りに曹操は現れただろう?貴方の兵力なら簡単に打ち取れただろう?

関羽はうなだれ、どんな罰でも受け入れると応える。

孔明は関羽に死罪を言い渡す。

これを聞いて慌てたのは主君であり義兄弟でもある劉備。
「今まで尽くしてくれた関羽を死罪にするのは忍びない。自分が預かるから死罪は取り消してくれないか?」

孔明は応える。「なりませぬ。そんなことを認めたら、軍のモラルが保てない」

「しかしながら、ほかならぬ主君のお言葉です。今回だけは主君に預けます。謹慎を命ずる」
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恩賞会議のあと、孔明とふたりきりになった劉備に孔明は明かします。

「関羽が曹操を逃がすことを予想していました。星占いでは曹操の命はまだ続く。」
「関羽は義理堅い武将です。今後、もっと大事な局面で曹操軍と相対した時に曹操に情けをかけることもありえるでしょう」
「それならば今回わざと曹操を助ける機会を与え、恩を全て返させる」

劉備は問います。そこまでわかっていて、関羽を死罪に問うことは酷ではないのか?

孔明は答えます。
死罪と言えば、主君(劉備)が止めると思いました。主君が止めなければ義兄弟の張飛が。もしも張飛が止めなければ長年の付き合いである趙雲が。趙雲が止めなければまた他の誰かが。関羽はそれだけ人望が厚い武将です。止めが入らないことはありえません。

劉備は更に問います

止められることがわかっていて、なぜわざわざ死罪を言いつけたのか?

孔明は重ねて答えます。

たとえ関羽であっても、軍令に背けば死罪にもなりうるということを示すためです。
こうすれば命令に背く武将はいなくなるでしょう。
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関羽は死罪になる可能性があったにも関わらず、恩義を返した仁義の人として後世に伝えられることになっていきます。(まあ史実ではなく、あくまで「物語」なんでしょうけどね。



こうやって神格化され華僑によって世界のチャイナタウンに「関帝廟」が立てられるというわけ。チャイナタウンにとっての「求心力、シンボル」でもあるんやね。

奥さんにこういう背景と、必ず両脇には養子の関平と部下で泳ぎの上手い周倉がつくんだよ、と解説してみたが興味はなさそうでした。

ともあれ、なにせ商売の神!500円払ってお線香あげてお祈りしてきましたさ。株上がれ!(そっちか)本業のトラック業界にも追い風吹きますように。
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刀削麺のお店は「杜記」というお店。刀削麺というのはまな板を使わず、生地を包丁で削るように麺にしていってそのまま茹でる麺。

ウィキペディアを転載すると
小麦粉を水で練った生地の塊を板に乗せ、片手に生地、片手にくの字型に曲がった包丁を持って湯の沸いた鍋の前に立ち、生地を細長く鍋の中に削ぎ落としてゆでる。

だそうな



有名店だそうで店内にはたくさんのサインや写真。嵐の相葉さんがテレビの企画で「修行」したこともあるそうな。

お店の写真 狭い路地を入っていったところにあり、はじめから此処に行こうと思わないとなかなかたどり着けんかもしれんね。家と家の間は1.5mくらいしかなく、リアカーも通れないような細い路地にある。
 
20席位の小さなお店。時間は3時とかなのに、並んでて30分位待ったかなあ。お昼時はもっと混むんでしょうね。
 

 
担々麺とチャーシュー麺。美味しゅうございました。
刀削麺というのは四川になるのかねえ。
 
美味しゅうございました。興味のある方は「杜記」でググッて行ってみてくださいませ。
 

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