2015年11月27日金曜日

長生き。と人生50年、とついでにお金と

これも何度も何度も書いた話だが。色々思うことが重なってまた書いておく。

理想はお金を稼いで長生きだと思う。

新天地の母方の祖父は、一代で財産を築いた。共同経営した会社はピーク時何百の人を雇用し、ある有名な政治家とも親密な関係にあった。彼を総理大臣にするのが目標だったそうな。

それでも若くして死んだ。幸せだったのかどうか。

祖父はからだが弱くてお金もなく大学には行けなかったそうな。
一方で、娘三人には短大しか行かせなかった。当時は女が4年制大学なんて、と思ったそうだ。
それも可哀想なことをしたと。大学行かせて就職してたらもっと違う人生を歩めたのではと。(母親も叔母も楽に六大学の難しい方に行けるだけの学力はあったそうな)

なので孫達には男でも女でも大学に行くように。できれば法律か医学部に行かせろと。孫が全員、私立の医学部に行けるだけのお金は「山」で残した。僕らが大学に入る頃に木が育って売れるような山ばかりを選んで。母親たちに使い込ませないように・・・(まあ相続税対策でもあったのだろうが。余談だが、そのうちの幾つかはなぜか高速道路が通ることになる。相場よりはるかに高く売れた。不思議不思議)

個人的には山より、木場の土地を残しておいてくれたらwと思ったが。
おかげで僕も何不自由なく大学まで行かせてもらえた。法律勉強したおかげで行政書士なんてのもなれた。馬鹿な僕でもあんまり勉強せずに行政書士試験受かったのは曲がりなりにも司法試験を目指したときがあったからだろう。
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丁度不況もあって、祖父が会社を手放した頃(僕の母親はじめ、祖父の子供は三人みんな女だったので後を継がせなかった)にがんに罹り50代で亡くなったいくらでもお金があり、そっから一番楽しい時間だったろうが、それは楽しむことなくなくなった

総理大臣を作る夢はある汚職事件で潰えた。
医者か弁護士になってくれと願った孫は僕を含め6人。二人弁理士になって一人裁判官。

一人はヤクザ、一人はヤク中。一人はここでくすぶってる。
これで祖父は満足してるだろうか。
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仕事と選挙で寿命を縮めたんだとみんな言う。でもそれがなければあんなにお金を稼ぐこともなかっただろう。寿命と引き換えに子孫にお金を残した。

もっとバランス取れればいいのに。
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例えば奥さんの父親。
かれもまた一代で会社を起こし、普通の人の生涯年収を軽く上回る金融資産を持っている。土地とかの不動産だけでもそれくらい有ると思う。

そんな彼でも、「いつ死ぬかわからないから、使いきるのは難しいよなあ」だって。
死ぬ日がわかっていたら、日割り計算して使い切れるけど、使いきったあと、まだ生きてたらまずいもんな、だって。

お金なんて使いきったらイカンもんなんだな

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ヤク中になった従兄弟。やくざになった従兄弟
僕の母親は彼ら兄弟ためにかなりの金額の遺産を放棄したが(彼らの両親が早くになくなったので)、これが仇になった。
一人は有り余るお金で薬に手をだし、通常では使い切れないくらいの薬を服用したせいでもう社会復帰することは一生できない。ってか入院代は僕の父親が見てる。父が死んだら僕が見るんだろうか?

一人はそのお金目当てに「やーさん」の世界に引き込まれ、やはりある意味では社会復帰なんてできないだろう。黒塗りのベンツ乗り回してそれが幸せなんだろうか。

僕から見たらふたりとも生きる屍だ。金が人生を狂わせたとも言える
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昨日、父が退院した。
もう70を超えて、いまいきているのは「おまけみたいなもんなんだと」

父は坊主やりながら高校の校長まで上り詰めた。やめるときは県の校長会のナンバー3まで行った。国から紫綬褒章も貰った。。
しかしその父も校長と坊主の兼任は激務だったらしく、50代で心臓に病気を抱えそれが元で今回も含め2度「死にかけた」。地位と引き換えに、寿命を縮めてるんだ。

今は仏教の勉強に余念がない。死ぬまで勉強なんだとさ。
この境地には僕は辿りつけないか。。。
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お金が全く無ければ不幸だろう。しかしお金がたくさんあっても幸せでは無いようだ。

くだらないことを書いている暇あったら、稼いで来いという声も聞こえるが・・。

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