2015年10月9日金曜日

オグリキャップの馬主、小栗孝一氏死去85才

オグリキャップの元馬主(地方競馬時代)で、「オグリキャップ」の名付け親でもある小栗孝一氏が死去85才

(オグリキャップは「オグリ」という小栗氏の冠名とオグリキャップの父親である「ダンシングキャップ」に名前が由来する。小栗氏はオグリホワイト(母ホワイトナルビーから)オグリローマン(父ブレベストローマンから)なdこの血統には父母にちなんだ名前をつけていた。
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オグリキャップはまさに「記憶に残る馬」だが、オグリキャップはある意味で、その後のJRAの制度改正の生みの親でもあった。そしてそれは小栗さんが地方競馬の馬主であったことにも由来する。

小栗氏はオグリキャップの母親のホワイトナルビーも保有しており、ダンシングキャップを種付けに選んだのも小栗氏(関係者は気性が荒いことを理由に反対したという)
オグリキャップは小栗氏所有し、地方競馬の笠松競馬場でデビューすることになる。
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笠松でデビューしたオグリキャップは体調不良のために2度二着に敗れるものの、圧勝劇を繰り広げるなど猛威をふるう。

しかし、小栗氏はもともと地方競馬で馬を走らせる零細馬主でJRAで馬を走らせる馬主資格は持っていなかった。(そもそもオグリキャップがこんなに強いとも思ってなかったわけで)。
そこで多くの中央競馬の馬主が「ぜひ譲ってくれ」という話が殺到したという。

中でも熱心だったのが「オグリキャップの二人目の馬主」になる佐橋氏だった。

「このままではオグリキャップは笠松のオグリキャップで終わってしまう。馬のためにJRAに移籍するべきだ」

熱心な説得に折れて小栗氏は2000万円の値段と、もし種馬になった時は(この時点ではかなり現実性の薄い怪しい話だが)種付けを優先して行える権利を保留してオグリキャップを売却することになる。こうしてオグリキャップは所有者が変わるとともに、笠松所属の地方馬からJRA所属の中央のうまへ「転籍」することになる。
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断腸の思いで手放した小栗氏はもちろん辛かっただろうが、一番面白く無いのは調教師と騎手だろう。

手塩にかけた優秀な馬が有無をいわさず奪われたのだ。このままイケば東海ダービー(中京地区の地方競馬最大のレース)はもとより、各種レースで勝つことが有望だった馬を。。この辺のわだかまリは結構尾を引いたともいう。一方でこれが後の制度改正につながっていくのだが
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中央に移籍したオグリキャップだが、最初から「怪物」扱いされたわけではない。
デビュー戦の「ペガサスステークス」を調教師もいきなり勝つとは思ってなかったし、オッズも二番人気に過ぎなかった。まだ、笠松の田舎から来た一地方馬に過ぎなかったのだ。

しかしレースが終わってみればオグリキャップは3,4コーナーを終始大外を回らされるコースロス、しかもスパートは最後だけ、というレースをしながら大楽勝。

続く毎日杯はどろんこの重馬場で行われたが全く気にせす圧勝。オグリキャップは自身で「どんな距離どんな馬場であろうと勝てる」事を証明し始める。
ここに至って、「ひょっとして怪物なんでは?」という声が広がる。

問題はオグリキャップに「ダービーへの出走権が無い」ことだった。
当時のJRAの皐月賞、ダービー、菊花賞などは事前に「クラシック登録」といって前の年の年末までに2万円とか払って登録しておかないと出走できなかったのだ。地方馬だったオグリキャプはその時点でJRAに移籍する気もなく、また関係者もそこまで期待はしてなかったので登録してなかったんですな。

こうしてオグリキャップはダービーに出走できず。

次はニュージーランドトロフィー(G2)に出走。当時のニュージーランドトロフィーは東京の1600mで行われていて、レースの時期や体系からは今で言うNHKマイルカップのような位置づけ(ただし格付けはG2)でした。


オグリキャップは賞金獲得によって別定でただ一人「58キロ」を背負いながらレースに出走。この時オグリキャップは蓄積する疲労で本調子には程遠かったものの、河内騎手は手綱を「持ったまま」一度もゴーサインを出す事無く後続を振り切ります。最後の三ハロンは「無理せず流して走ったため35.5秒」の走り(というかオグリキャップにとっては小走りくらいか)だったにもかかわらず、勝ち時計1分34秒丁度でフィニッシュ。オグリキャップがどこまで本気を出したのかは不明です。

このタイムはニュージーランドトロフィーのレースレコードをあっさり更新するもの。何よりこのタイムは同じ年、同じ東京競馬場1600mで行われた安田記念の勝ちタイムが、オグリより一キロ軽い57キロを背負った古馬のトップマイラー、「ニッポーテイオー」の1分34秒2(二着はダイナアクトレス)よりも優秀な時計でした。

古馬のマイラーの日本一決定戦の勝ち馬、それも57キロで走ったニッポーテイオー(この馬だって史上に残る名マイラーです)も勝ちタイムより、「マイルも走れてしまう」馬、それも未成熟な4歳馬(当時は数え年で年齢を数えた)が調子は本調子ではなく、58キロを背負い、全力を出さなくて勝ちタイムが安田記念より0秒2も優秀だったのです。もうこれは「怪物」としか形容できなくなっていくのでした。

「オグリキャップがダービー出てたら勝ってた」(この歳のダービー馬はサクラチヨノオー)

オグリは自らの強さで、JRAの制度の問題点を浮かび上がらせたのです。それは小栗さんが一地方競馬の馬主に過ぎなかったことも一因だったでしょう
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JRAは制度改正に乗り出します。

まず、オグリキャップがダービーに出走できなかった件については「追加登録」を認めるようになりまた。最初のクラシック登録を指定なかった馬でも、レースの前により大きな金額を払えば追加で登録できるようにしたのです。

さらに、地方競馬のうまが地方競馬所属のままで出場できるレースを拡大。トライアルレースに地方競馬の馬が出走して一定の着順を獲れば、本番のレースにも出場できるようにしたのです。

オグリキャップの例で言えば、笠松競馬所属のままでもダービーのステップレースに出場出来るようなしくみ。そこで上位に入れば、追加登録料金を払って笠松所属のまま日本ダービーに出走できるような仕組みに変えたわけです。

このしくみを使ってコスモバルクがホッカイドウ競馬所属のママクラシックを戦ったのが記憶に残りますね。またライデンリーダー(笠松)が牝馬クラシック戦線をわかせたのも記憶に残ります。
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オグリキャップの活躍は、地方競馬のトップジョッキーを中央に連れてくることにもつながりました。
一定の基準を満たせば、狭き門だった中央競馬騎手の門戸を地方競馬の騎手にも開くことにしたのです。
結果、オグリキャップの笠松時代の主戦騎手安藤騎手を始めとして複数の地方のジョッキーが中央競馬でもかつやくすることになりました。これもオグリキャップが作った制度と言えましょう
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なお、小栗さんはその後中央競馬の馬主資格を取得。オグリキャップの妹であるオグリローマンで武豊とともに桜花賞をとっています。

一方

競馬場の中に畑があるw牧歌的な笠松競馬場(味噌カツがうまい)は地方競馬衰退の流れに押されて赤字と廃止の危機と戦っています。
小栗さんはこの流れにも抗して笠松競馬場のために頑張ってきました。
いまだ笠松競馬の火が消えていないこともまた小栗さんの功績で有りましょう。

合掌。

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