2015年8月10日月曜日

大村益次郎論

靖国神社の発案者が長州出身の大村益次郎であることはこの前書きました。

靖国神社には「軍神」大村益次郎の像があります。。。

大村はもともと「蘭学者」(オランダ語を勉強した医者)だったのですが、その語学力を買われてオランダ語から当時の最先端の兵学や兵器を学び、長州藩の軍事担当者として頭角を現します。
(当時、このように医者から軍事に転向した人物としては幕府側に立った大鳥圭介などが知られる。よくあるパターンだったのかなあ)

花神(司馬遼太郎の小説)にも描かれたように徹底したリアリストで、軍事を計算し尽くした人物だったと言われています。
当然、彼の頭のなかには「これだけの戦闘を行えば、これだけの味方が死ぬ」とか見えており、彼が「死地に赴け」といった部隊は必ず多くが戦死する。しかしそれは必ず戦局全体に必要だったとも。。。
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江戸城明け渡しの後、上野に「彰義隊」(旧幕臣などの私兵集団)が暗躍した際、のエピソードが面白く。

彼はわざと「何月何日に上野を攻める」と言いふらし、彰義隊を上野に立てこもらせます。攻撃日を言いふらすことで相手を一箇所に集めさせたのです。しかるのちに三方から攻めさせ、勝機と見るや、当時日本で最も火力があるとされた「アームストロング砲」で砲撃。戦意を失った彰義隊はわざと作られた逃げ道を伝ってほうほうの体で江戸から落ちていったのでした。

敵を全滅させようと思えばできたのにわざと逃げ道を作ったのは、相手が死地にいると思えば反撃が苛烈になるため。だからわざと逃げさせた。

一方では、最初からアームストロング砲を使えば、味方の兵の侵害は少なくなるかもしれないが、江戸に火事が広がる危険性が高まりすぎる。だからあえて最後までとっておいた。

その分、味方の兵には「死んでこい」というわけです。
(司馬遼太郎の小説の中では、この時の恩讐も、大村が暗殺された一員であるように描かれています)
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戦争とはかようにリアリズムの結晶です。味方が一人も死なない戦闘なんて(今のところは)ありえません。いろんな条件をみたすために「悪いけどお前死んできてくれ」というのが司令官の仕事。

やっぱり、戦争反対って叫んで何が悪い、とは思うんですよね。
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一方で。

大村の頭の中には「ここで内戦が長引けば、日本は諸外国から隷属的扱いを受ける」

ことまであったと思われます。
速やかに内戦を自分たちの勝利で終わらせ、国民皆兵を取らなければ、他の国の植民地になってしまうかもしれない。
オランダ語を通じて世界情勢を知っていた大村は戦争を集結すること、軍備を整えることが彼の任務だと知っていたんでしょう。それは責められない。。。

自分が作った死者のために、自分が作った靖国神社。それが100年たっても揉め事の種になってるなんて、さすがの彼でも想像ついてないだろうなあ。

さてと。仕事するか。

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