2015年4月20日月曜日

続「無過失責任」

よく「賠償」という言葉が出てくる。なぜ賠償する責任が出てくるかというと、一般的には(日本では)民法709条というものがあるからだ。

民法709条というのは、民法を勉強するものならまず最初の頃に勉強する非常に重要な条文。法律には数百個くらい「その条文を完全に知ってないと話にならない」条文があるが、709条はそんな条文です。

参考 民法709条
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

この法律が規定しているのは「故意や過失で他人に損害を与えたら、その分、お金払いなさいね」ということ。

逆に言えば、この法律の他に特別の決まり(特別法といいます)がなければ、「無過失の行為」で損害を与えても、「加害者」が「被害者」に賠償する責任は起こらないというということになります。
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(新天地注 例えばPL法によって製造者はたとえ無過失でも賠償責任を負います。特別法で709条の「例外」が作られているわけですね)
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損害賠償の裁判の歴史は、この法律709条の解釈と運用の変化の歴史でもあります。

例えば、本来、故意や過失があったかどうかは、賠償を請求する原告にあると考えられてきました。訴えを起こすほうが訴えられる側の責任を立証すべきという考え方です。
(たとえば考えてみてください。いきなり知らない人Aが現れてあなたに「あなたが去年、私の所有物を壊した。賠償しろ」
去年、あなたがAさんのものを「壊してない」なんて証明は難しいでしょ。でも証明できないから損害賠償を認めろということになったら、世の中は賠償しろ裁判が横行してしまう。基本的には故意や過失があった行為を「訴える被害者側が証明」すると考えられてきました。


これに対していやいや、被害者に立証責任をすべておわすのは困難だから、加害者側に故意や過失がないことを証明する責任があるという考え方もありました。
それは時と場合にもよる、とかいろいろ話が長くなるのですが。

たとえば、加害者側が「故意や過失がなかったことを証明するのが非常に困難な場合において、なおかつ加害者側が故意や過失がなかったこと(=無過失)を証明しなければ709条によって賠償責任をおうとしましょう。

それは実は「無過失責任」を認めたことと同義であると言えます。(そして場合によってはそうするべきという考え方も従前からありました)

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ただ、道を歩いていてぶつかった、など原始的な行動における損害賠償と、社会が高度化し、それにともなって注意義務が高度化し、利益が増大するような行動を取る場合は損害賠償責任がより広く求められる傾向があります。このまえ書いた野球場のお話なんかもそう。入場料金とって
人を集めているんだから、より大きく、事故を防ぐ責任が発生すると。
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たとえば車を運転するのもそう。車を運転するという事によって早く移動したり多くの荷物を運んだりできる一方で、当然事故(利益侵害)の可能性は高まる。そういう「高度に栄駅を得られる」行為をして、被害が発生した場合の賠償責任は普段よりも広く認められるべき。
こういう考えが発生する余地があるわけです。そうしないと被害者を救済する道が狭くなり、被害者補語の観点から法益のバランスが崩れる。

で、問題の判決です
対向車線を走ってきた被害車が、どうやらセンターラインをはみ出してきて、自車線を走っていた車と衝突しました。被害を受けた側が、あいての車側に損害賠償を求めたという裁判です。

709条を読めば、故意過失がなければ賠償責任はありません。次車線を走っていた車には過失はないように思われます。ところが判決で「自車線を走っていた車は、事故を避けられた可能性について無過失だったと証明できない限り、倍賞の責任を負う」としたのです。

でも。。自分の車線を走っていただけなのに、事故を避けられなかったことについて自分の過失が全くなかったことを証明するなんて、事実上不可能ではないですか?
判決は実質的に運転していて事故が発生した場合、無過失責任に問われる可能性があると示しているとも言えます。
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僕自身はならった教授がこういう考え方を唱える人だったので(やや革新的な考え、非伝統的な考えでした)こういう判例はありうると思っています。

しかし、それじゃあ運送会社なんてやってられねーよ、という感じもします。
この判決が出たケースでは、訴えた「被害者側」の車を運転していた人が保険の対象外のひとで怪我をした人が保険を受け取れなかったケース。これを救済するために、相手側に払わせようとしたちょっと無理のある判決のような気がします。

裁判官、保険の支払は只だと思ってるんじゃないか???

保険会社が保険金をだせば当然その分加入者が負担する保険料は上がる。負担がゼロなわけではない。
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もしもこういう考えで交通関係の賠償をやっていくというならそれはもはや特別法を立法してやるべきではないのか?無過失責任を拡大するのはやぶさかではない(個人的な感想です)がそれは無制限にやるべき話でもないんだよね。
野球場のファールボール判決は僕は納得できるけど、センターラインを超えてきた車の話は納得出来ない。
これは当事者になればまた話は変わるかもだし、人によっても様々な判断ラインが有るだろう。
ならばやはり明文化して、くっきりラインを分ける必要が出てきたんじゃないかな。

そんな気がするんです。

おまけ
自動車評論家の国沢さんが書いていたけど、この判決が確定し(おそらく最高裁まで争うと思う)判例になったり、もしくは本当に特別法ができて無過失責任的なものが認められた場合には、とうぜん保険会社は保険料を値上げする動きに出ると思う。そうじゃなかったら利益が減る。というか赤字になるかも。社会的なコスト負担がある部分では増えることになるね。

対人対物は普段から無制限のやつに入っておくべし。保険の対象外になる人間には絶対に運転させない。今更だけど、アタリマエのことはちゃんと確認しておきましょう。

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